悔いなく死ぬために高齢者が望む「尊厳死」とは何か?【呉智英×加藤博子】
加藤:エドガー・アラン・ポー(1809~49/作家)の『ヴァルドマアル氏の病症の真相』に、こういう話があります。
催眠術師の「私」は「臨終の人間に催眠術をかけたらどうなるだろう」という疑問を抱いていた。
劇症の肺結核に冒され余命いくばくもない友人のヴァルドマアル氏が奇特にも「私」の知的好奇心を満たすべく、臨終に際して「私」に催眠術を施術することを許可してくれる。施術は成功し、瀕死の男は臨終の床で眠りにつき、眠ったまま息をひきとる。ところがそれから数分ののち、ヴァルドマアル氏は「眠り」から覚めてしまう。深い洞穴から聞こえてくるような、くぐもった声で、彼は「さっきまで私は眠っていたが、いまは死んでいる」とうめく。催眠術の眠りのせいで、彼は死の瞬間を逸してしまったのである。
ヴァルドマアル氏はそれから7カ月死んでいながら、死んでいない宙吊り状態におかれる。「私」は、ついに彼にかけた催眠術を解くことを決意する。術が解け始めると、再び、あの地獄の底から響くような声がうめく。「早く、眠らせてくれ、でなければ、早く目を覚まさせてくれ」
そして術が解け切った瞬間、ヴァルドマアル氏の身体は「いまわしい腐敗物の、液体に近い塊」と化して崩れ去る。SF話のようですが、たぶんポーは本当に実験したのでしょう。
呉:いかにもポーらしい作品だね。
加藤:なかなか体が腐らない人を、キリスト教では聖人として崇めたわけで、ある種の宗教的な熱狂やエクスタシーの中で、心と身体の死期が一致せず、不思議に見える現象が生じていたのかもしれません。
心身の死について、スウィフト(1667~1745/作家)もまた思考実験を試みていました。彼の『ガリバー旅行記』に登場するラグナグ国は、不老不死ではなく、人々は老いるが、なかなか死なないという超高齢社会の国です。ガリバーはそれを知って長命を大いに寿ぐのですが、その国の人々は複雑な表情で「とんでもない」と言う。超高齢化が、どれほど醜悪で大変な社会となり果ててしまうかを、ガリバーに訴えるのです。まだまだ寿命が短くて、長寿が疑いようのない美徳だった時代に、皮肉なスウィフトは未来を予言していました。
(呉智英×加藤博子著『死と向き合う言葉:先賢たちに死生観に学ぶ』の本文一部抜粋)
【著者略歴】
呉智英(くれ・ともふさ/ごちえい)
評論家。1946年生まれ。愛知県出身。早稲田大学法学部卒業。評論の対象は、社会、文化、言葉、マンガなど。日本マンガ学会発足時から14年間理事を務めた(そのうち会長を四期)。東京理科大学、愛知県立大学などで非常勤講師を務めた。著作に『封建主義 その論理と情熱』『読書家の新技術』『大衆食堂の人々』『現代マンガの全体像』『マンガ狂につける薬』『危険な思想家』『犬儒派だもの』『現代人の論語』『吉本隆明という共同幻想』『つぎはぎ仏教入門』『真実の名古屋論』『日本衆愚社会』ほか他数。
加藤博子(かとう・ひろこ)
文学者。1958年生まれ。新潟県出身。文学博士(名古屋大学)。専門はドイツ・ロマン派の思想。大学教員を経て、現在は幾つかの大学で非常勤講師として、美学、文学を教えている。また各地のカルチャーセンターで哲学講座を開催し、特に高齢の方々に、さまざまな想いを言葉にする快感を伝えている。閉じられた空間で、くつろいで気持ちを解きほぐすことのできる、「こころの温泉」として人気が高い。さらに最近は「知の訪問介護」と称して各家庭や御近所に出向き、文学や歴史、哲学などを講じて、日常を離れた会話の楽しさを提供している。著作に『五感の哲学——人生を豊かに生き切るために』。